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中村滋延「映像音響詩」全作品上映 映像音響詩アクースモニウム上映 #2 日時 :11月29日(日) 14:00開演(13:30開場/17:30終了予定) 会場 :FRAME in VOX[京都・三条河原町] 出演 中村滋延(お話/九州大学名誉教授) 小寺未知留(お話/立命館大学准教授) 檜垣智也(アクースモニウム演奏/東海大学准教授) 1994年の《WALK》から2014年の《KYOZON 2014》まで、中村滋延が20年にわたって手がけた「映像音響詩」全15作品を、年代順に3部構成で一挙上映します。中村自身と、その教え子である小寺未知留(立命館大学准教授)によるトークを交えながら、映像と音響をめぐる創作の軌跡をたどります。アクースモニウム演奏は、長年にわたり中村作品の上演に携わってきた檜垣智也が担当します。 第1部 京都からZKMへ 第2部 アニメーションとの出会い 第3部 東アジアへ、東アジアから 参考動画 中村滋延 映像音響詩"TAMEIKI" https://www.youtube.com/watch?v=xAAQI8J07Xk&t=104s ※上映会終了後、同会場にて出演者を交えた交流会を開催します。参加無料。 中村滋延 NAKAMURA, Shigenobu 1950年生まれ。作曲家、九州大学名誉教授。交響曲5曲を含む100曲以上を作曲。加えて映像やコンピュータを取り入れたメディアアートも制作。音楽や映像芸術に関する著述・論文・評論等の文筆活動も積極的に展開。 料金 予約 3,000円(当日 +500円/学生 -1500円) 予約とお問合せ [email protected] (檜垣) お名前(ふりがな)・ご来場日・予約枚数を明記のうえ、お申し込みください。代金は当日、現金にてお支払いください。 アクセス FRAME in VOX 〒604-8031 京都府京都市中京区大黒町44 河原町VOXビル 3F ※建物に向かって左側の階段またはエレベーターで3Fまでお上がりください。建物中央の扉からは入れません。 交通アクセス バス「河原町三条」各停留所より徒歩1〜5分 京阪線「三条駅」6番出口より徒歩5分 地下鉄東西線「三条京阪駅」2番出口より徒歩5分 阪急線「京都河原町駅」3B出口より徒歩7分 ※駐車場・駐輪場はございません。近隣の有料パーキングをご利用ください。 主催 映像音響詩アクースモニウム上映実行委員会 協力 hirvi 上演プログラム公開 (全19作品(1994〜2014年) 第1部 京都からZKMへ 《WALK》(1994) 《陰陽(YIN & YANG)》(1995) 《Epitaph》(1996) 《sabi(さび)》(1998) 第2部 アニメーションとの出会い 《Play(プレイ)》(1998) 《Life(ライフ)》(1998) 《Lust(ラスト/欲望)》(2000) 《都市生活の中のありふれた悲劇》(2000) 《曼荼羅幻想》(2005) 第3部 東アジアへ、東アジアから 《ナーガ変奏曲》(2005) 《サムサーラ(輪廻)》(2008) 《インペイシェンス(焦燥)》(2008) 《タメイキ》(2011) 《リアッセンブリー(再統合)》(2012) 《KYOZON 2014》(2014) (2026年10月17日更新) ーーーーーーーーーーーーーーーー 中村滋延さんによるミニエッセイ連載 中村滋延さんご自身のフェイスブックで公開されている、当企画に合わせた「映像音響詩」のためのミニエッセイを随時転載いたします。どうぞお楽しみください。 (1)2026.10.7投稿 (2026.10.21更新) 「映像音響詩」とは大雑把に言えば「音響音楽を重視したビデオアート/映像アート」のことです。「映像音響詩」という言葉は私自身による「造語」です。 1970年代に個人でも入手可能な録音機能付きの8ミリカメラ、ビデオカメラがごく一般に出回るようになり、「映像芸術」の個人制作が可能になりました。音楽と美術の両方の表現に関心のあった私はビデオカメラを手に入れ、「映像音響詩」を実験的に制作を始めました。 運のよいことに1980年代の中頃に「京都芸術短期大学」(現在京都芸術大学)に映像芸術学科が誕生し、日本の実験映画の真のパイオニアともいうべき松本俊夫先生(1932〜2017)がそこに着任されました。映像には音・音楽についての授業も必要だということで、すぐに先生から非常勤講師として授業に引っ張り出されました。これはとてもありがたいことでした。課外授業を含めて多くの実験的な映像アートに体系的に触れることができました。「京都芸術短期大学」に籍を置かなければ得られなかったこと。 (2)2026.10.8投稿 (2026.10.21更新) 1986年から京都芸術短期大学映像専攻で映像作品の音表現についての授業を担当するようになりました。音楽ではなく「音表現」という言い方を強調したのは、音楽という枠から離れると、身の回りの音楽以外のさまざまな音とも創造性豊かに関係することができるから。あるいは身の周りのモノ音に豊かな音楽性を発見することもできるから、等々。そうしたことを拡張する意図もあって、楽器以外の身の回りの様々な発音媒体を用いた合奏らしきものをいろいろと試みたりもしました。加えてモノ音はそれ自体で意味を持っているので(例えば、足音、茶碗が割れる音、信号機の音、自動車のブレーキ音などの発音に伴う意味)、それらのモノ音の組み合わせや鳴らし方を工夫することによって映像表現に豊かな意味を音に付与したりもできるのです。 そのうちにパソコンによって音楽知識や音楽的技術などがなくても音楽作成を可能にするソフトも出現するようになりました。 授業では課題ごとに合評会と称して相互に感想などを交換しあったりしたこともよかったように思う。単に学生作品を批評するというのではなくて、学生個々が「発見すること」に重きを置いた授業のつもりだった。 (3)2026.10.9投稿 (2026.10.27更新) 私が教員として働いていた京都芸術短期大学映像芸術学科は1996年に京都造形芸術大学映像学科に、つまり4年制大学に改編された。私はそれ以前に在外研修を大学側に申し入れていて、その改編と同時にドイツのカールスルーエにあるZKM(Zentrum für Kunst und Medientechnologie in Karlsruheメディアアートセンター)での1年間弱の在外研修を許された。 ただしZKMは改築の都合ですぐには滞在が可能にはならなかったが、これ幸いとばかりに、それまでの間を私はドイツ語研修の名目でベルリンに行くことにした。ベルリンで3ヶ月間滞在。 一応、籍をベルリンのゲーテ・インスティテュートに置き、ドイツ語会話訓練という名目で3ヶ月ほどベルリンに滞在をした。この時の体験は非常に刺激的で有益なもので、現代アート、オペラ、現代音楽、現代美術、現代演劇などを積極的に勉強した(じつに頻繁にコンサート、美術館、オペラなどに通った)。住んでいたところは東ベルリン地域だったので、ちょっと危ない経験(テロ騒ぎに遭遇)もしたが、一応無事に。 当時のベルリンのコーミッシェ・オーパー(喜歌劇)の主席指揮者が後にNHK交響楽団の主席指揮者になったファビオ・ルイージで、コーミッシェ・オーパーへ彼の指揮を聴きに行くたびに「上手い指揮者やなぁ」と感嘆していた。 なおベルリン滞在の途中、ギリシャのテッサロニキで開催されていた国際コンピュータ音楽会議で自作のコンピュータ音楽が入選し演奏されることになったので、それにも参加した。 その後に客員芸術家という資格でカールスルーエのZKMに半年間滞在し、作品制作する資格を得た。大きなスタジオを与えられ、自分のペースで好きに仕事ができたことはありがたかった。 ただしよい思いをし過ぎたこと、それに関連していい調子にのり過ぎたこと、他人への迷惑に鈍感すぎたこと等々、日本に戻ってから様々にしっぺ返しを喰らうことになった。